三幕構成 中級編(まえおき)
三幕構成の中級編と称して、より深い物語論を解説しています。
中級編の記事ではビートを含む用語の定義や、構成の基本、キャラクターに対する基本を理解していることを前提としています。しかし、応用にいたっては基本の定義とは変わることもあります。基本はあくまで「初心者が基本を掴むための説明」であって、応用では例外や、より深い概念を扱うので、初級での言葉の意味とは矛盾することもでてきます。
武道などで「守」「破」「離」という考え方があります。初心者は基本のルールを「守る」こと。基本を体得した中級者はときにルールを「破って」よい。上級者は免許皆伝してルールを「離れて」独自の流派をつくっていく。中級編は三幕構成の「破」にあたります。
以上を、ふまえた上で記事をお読み下さい。(参考記事:「三幕構成」初級・中級・上級について)
超初心者の方は、初心者向けQ&A①「そもそも三幕構成って何?」から、ある程度の知識がある方は三幕構成の作り方シリーズか、ログラインを考えるシリーズからお読みください。
アークのおさらい
物語を、折れ線グラフで表すと上のようになります。これは三幕構成の基本的なアークです。
起承転結ではこのように描かれることがあり、構成方法に違いが見えます。この違いにかんしては「三幕構成・起承転結・序破急」の記事をご覧下さい。
三幕構成でもポジティブエンド(ハッピーエンド)であれば、最後は上昇して終わるし、反対にネガティブエンド(バッドエンド)であれば下降して終わります。
また、アクト2で山を登っていくように、主人公の状況が好転していくアークもあれば、谷を下っていくように落ちていくストーリーもあります。(参考記事:「3本のキャラクターアーク(ポジティブ・ネガティブ・フラット)」)
一例だけ示すと、以下のような描き方もあるということです。
また、『ベストセラーコード』では、AIで分析した7つのアークが紹介されています。記事ではグラフは紹介していないので書籍をご覧下さい。
いずれのグラフでも、X軸(横軸)は物語内の時間、映画でいえば時間、小説やマンガでいえばページ数を表していることは共通しています。
全体の時間内で、ストーリーをどう配置するかというのは構成の基本です。たとえば、むかし話の「浦島太郎」を30分のアニメするとして、浦島が竜宮城に行くシーンが、5分にあるのか、20分にあるのかでは、見た人の印象は大きく変わります。「亀につれられて竜宮城へ」というシーンをどこに配置するかということが、すなわち構成なのです。
しかし、時間の構成だけであれば、Y軸は必要ありません。簡易な企画書のように、シーンを箇条書きにしても構成になるでしょう。
アークを考える上で重要なのは、X軸よりも、むしろY軸(縦軸)なのです。
Y軸の大小を、何で決めているのか?
これは、グラフを用いる人によって違います。
「3本のキャラクタアーク」の記事で紹介したものは、主人公の変化、とくにMPとラストの置き方に着目しているといえます。
『ベストセラーコード』のAIによる解析では、小説中の「感情表現」をテキストマイニングしてアークにしたものです。
どちらとも「キャラクターの心理」についてのY軸といえます。
ある映画監督は三幕構成によるグラフを公開していましたが、Y軸の基準が主観的で構成表としては意味を成していませんでした。
ある地点では「演出上の盛りあがり」で山の頂上のようにして、ある地点では「キャラクターの心理」で頂上としていて、基準が混在しているのです。こういった構成表で作品を描くと、作り手側は盛りあげているつもりでも、観客が受ける印象は盛りあがりに欠けて、飽きられてしまうという自体がおきます。だから構成表としては意味をなさないのです。この手のズレで、わかりやすいのは「アクションシーン」を入れておけば観客は目が覚めると思っている勘違いです。キャラクターの葛藤に欠けるアクションシーンは、やかましいだけで、作り手が思っているほどに観客には響かないのです。
ビートシートで有名な『SAVE THE CATの法則 本当に売れる脚本術』も、捉え方としては混在しています。たとえば「カタリスト」というビートは明らかに外的なイベントであるべきなのに、「ダーク・ナイト・オブ・ザ・ソウル」といったビートは明らかにキャラクターの心理です。
『Cat』のビートシートは初心者にはとても便利です。「演出上の盛りあがり」なのか「キャラクターの心理」なのかといった違いはむずかしいので、わからないなりに分析してビートをとっていくことで、違いにも気づけるからです。「ディベート」というビートで考えるなら、作品によって、外的なアクションとして葛藤が描かれているものもあれば、内的な心理的葛藤になっているものもあります。具体例は、実際に分析してみてください。すぐに、どちらの例も見つかります。(参考記事:『SAVE THE CATの法則 本当に売れる脚本術』に潜む3つの問題点))
ただし『Cat』の理論は古く(15年以上前)、物語をとらえる上で不足している部分や曖昧になっている部分も多くあるので「デス」「ピンチ」といったビートを補足して、ビートシート自体を改良していますので参考にしてください。分析をつづけた経験則から改良したものなので、『Cat』のビートシートでつまづいている人には参考になるはずです。理論の正当性などを議論するつもりはありません。大切にしているのは「実際、創作に使えるかどうか」です。
ビートで重要なのは「機能しているか?」という観点です。
「ディベート」を外的、内的、どちらでストーリーを展開する方が機能するかは作品全体として効果的かという観点から良い悪いが決まってきます。たとえば、アクト2に入るために主人公による決断が必要なストーリーであれば内的なディベートの末で決断(「デス」)させてアクト2へ入れますが、不本意に巻き込まれるような展開であれば外的なアクションで逃げられないような状況をつくってやる必要があります。
この「外的」「内的」という基準は目安になります。
初級レベルであれば、混在したままの分析・創作でかまいませんが、中級レベルでは、はっきりと2本のアークに分けていきます。
これに関しては用語がないので僕は「プロットアーク」と「キャラクターアーク」と呼び分けることにしました。(参考記事:「ストーリー価値とアーク」(プロットアークとキャラクターアーク))
ここまで、当サイトで紹介している構成に関する考え方を、駆け足に振りかえりました。
まえおきが、かなり長くなりましたが、今回の記事では「プロットアーク」「キャラクターアーク」にくわえて、3本目の「コズモゴニックアーク」という捉え方を考えていくことです。
コズモゴニックアークとは?
「プロットアーク」と「キャラクターアーク」の違いについては、参考記事に挙げたもので説明しておりますので、ここでは割愛します(それだけで長い説明を要するので)。
構成上の違いとしては「リワード」で得るもので区別できます。
「リワードというビート」の記事で書いたように、外的な宝物のようなものを得て帰ってくる主人公は「プロットアーク」を辿っているに過ぎません。
浦島太郎が竜宮城にいって「金銀財宝」という外的な宝物を得て、帰ってきたというストーリーであったなら「プロットアーク」しかないのです。
浦島太郎が竜宮城にいって「乙姫に恋をした」としたら、やや内的な宝物です。「キャラクターアーク」的ですが、まだ「乙姫のキス」のように外的な表現で明確なので「プロットアーク」寄りです。
浦島太郎が竜宮城にいって「自らの過去と向き合って成長した」としたら、そこにキャラクターの変化があります。これが「キャラクターアーク」です。
「リワード」として得てくるものの違いによって、物語の階層も浅くなったり、深くなったりするのです。
もちろん「金銀財宝」を得ることで、「自らの過去を向き合い」、さいごには「乙姫の愛を見つけた」というように、それぞれのアークを併走させることは可能です(というか、物語を面白くするには、そう描くべきです)。
では「コズモゴニックアーク」で得てくる「リワード」は何なのか?
それが問題です。「キャラクターアーク」より深いものです。「リワードというビート」の記事を書いたときには意識していませんでした。
「コズモゴニック」という言葉は、ジョーゼフ・キャンベルの「宇宙創成の円環(Cosmogonic Cycle)」という言葉から拝借しました。
「無からの創成」と「無への到達」の記事で書いたように、英雄の旅の本質は、宇宙創成の起源へ到達する旅です。
「宇宙創成の起源に到達する」というのは、とても抽象的で、はっきり言って、わからない人にはわからないと思います。
それが、どういうことかは、言葉では説明できない世界です。
しかし、歴史上、その「言葉では説明できない言葉」をラベリングした言葉もあります。
そのいくつかの例を、安易に示すこともできますが、あえてしません。
言葉には(とくに抽象的である言葉であればあるほど)、捉え方が主観的になってしまいます。
たとえば「神」という言葉をつかったとき、それは世界中のさまざまな宗教に共通してしまう言葉であり、同時に意味の異なる言葉になってしまいます。
ある人には伝わり、ある人には伝わらず、ときには争いまで起きてしまいます。だから、厳密な言葉では表せないのです。
けれど、作家は「預言者」になることはできます(※念のため書いておきますが「予言者」と「預言者」はちがいます)
また、ストーリーの中で預言者を描くこともできます。「聖書」は預言者という英雄を描きながら、神を描いた「コズモゴニックアーク」の一つです。
宗教は、それだけで抵抗もある人もいるかもしれませんが、世界中で多くの人を支える物語でもあります(世界一発行部数の多い本は聖書です)。
大量消費されるエンターテイメント作品では「コズモゴニックアーク」を描く必要はまったくありません。「キャラクターアーク」までで充分です。
しかし「文学」というジャンルでは「コズモゴニックアーク」を描くことを目指すべきだと僕は考えます。そういう意味では「コズモゴニックアーク」は中級ではなく、上級レベル(ジャンルに特筆した内容)ですが、エンタメ作品でも、作者の視点によっては、ここまで到達することも可能ではないかとも考えています。
具体的な作品は、今後の僕自身の課題ですが、いくつか候補に目星はついているので、いずれ記事にするかもしれません。今回は「コズモゴニックアーク」という概念を打ち立てることまでで止めておきます。
また、「宇宙創成の起源に到達する」という意味を理解されたい方は『千の顔をもつ英雄』を読み込んでみてください。この本の中では、具体的な神話や民話の例をあげて説明されています。ただし、とても難解なので、読まれる方は覚悟をもってご購入ください(※僕は3回読んで、ようやく理解できるようになってきました)。
緋片イルカ 2020/12/31