プロットの形式④主人公の数(群像劇について)(中級編17)

この記事はミニプロットについて(中級編13)からのつづきです。

目次:
①プロットの尺度
②「クローズド・エンディング」と「オープン・エンディング」
③「外的葛藤」と「内的葛藤」
④主人公の数
⑤キャラクターコアとwant
⑥時間の扱い
プロットの形式⑦「因果」と「偶然」

主人公とは何か?

まずはロバート・マッキーの『ストーリー』の引用から。

書き出しの「古典的なストーリー」はアークプロットと読み替えて問題ないと思います。

古典的なストーリーの場合、中心になるのは――男であれ、女であれ、子供であれ――単独の主人公であることが多い。作品全体にわたって、ひとつの主要なストーリーが語られ、主人公が核となる役割を果たす。だが、脚本家が作品をいくつもの小さなサブプロット程度のストーリーに分け、それぞれに別の主人公を据えれば、起伏に富んだアークプロットの力が最小限に抑えられ、一九八〇年代以降人気が高まったマルチプロット型のミニプロットとなる(p.66)

アークプロットでは、ひとりの主人公の視点から、その主人公の変化や成長(キャラクターアーク)が描かれて、それ自体がテーマにもなります。

裏を返せば「テーマを背負っているキャラクターこそが主人公」とも言えそうです。

ただし、映画ではエンドロールの最初に名前が出てくるキャスト=主人公に見えますが、ストーリー上では別のキャラがテーマを背負っている場合もあります。

とくに主人公自身が変化しない物語では、主人公のそばにいる人物が変化している場合があり、そのキャラのアークが全体のアークになっていることもあります。
参考記事:「3本のキャラクターアーク(ポジティブ・ネガティブ・フラット)」

また、小説では語り手と、物語の中心になっている人物が、別のこともよくあります。

こういったことには注意していく必要はありますが、この記事ではプロットの形式として「主人公の人数と構成の関係」について考えるので、主人公っぽく見えるだけのキャラについては想定しません。

以下、主人公と呼んだときにはキャラクターアークとテーマを背負った人物とし、明確なアークを持たないキャラクターは変化などしいてもサブキャラクター(サブプロット)とします。

主人公が1人=アークプロット

主人公が一人の物語はアークプロットです。

主人公のキャラクターアーク=アークプロットと言い換えてしまっても、ほとんど同じです。

僕はキャラクターアークとプロットアークを区別するときがありますが、主人公が明確な場合は、いったんアークプロットと考えます。
参考記事:「ストーリー価値とアーク」(プロットアークとキャラクターアーク)

アークプロットについては初級編から考えてきていることなので、説明はいらないかと思います。

主人公が2人=コントラストプロット

主人公が2人のプロットを僕は「コントラストプロット」と呼んでいます。

はっきりと1:1の割合で、2人の主人公がいるような構成です。

物語は主人公1人のアークプロットで十分に描けるので、2人以上を設定する場合は「本当に必要か?」という問いかけに答える必要があります。

意味もなく2人にするなら「主人公を1人にして、2本の物語を作ればいいじゃないか?」と言われます。

スピンオフ作品がいい例です。サブキャラクターを描きたいのであれば、そのキャラクターを主人公にして別のアークプロットを作ればいいのです。

あとで「群像劇」についての説明でも補足しますが、基本のアークプロットを描けないライターが2人以上の主人公を書くと、シーンを飛ばしてばかりで、重要なシーンを描くことから逃げる誤魔化しになってしまう場合もあります。つまり、主人公が1人もいない物語になってしまうのです。

コントラストプロットの話に戻ります。

「対比」を入れることで、主人公が2人いる意味が出てきます。

映画での実例をあげます。

『アメリカンギャングスター』

『ヒート』

参考記事:『リベンジ・マッチ』(三幕構成分析#13)

『ホリデイ』

『ウディ・アレンの重罪と軽罪』

『メリンダとメリンダ』

『アメリカンギャングスター』(主演はラッセル・クロウとデンゼル・ワシントン)や『ヒート』(アル・パチーノとロバート・デニーロ)のように設定上が、刑事と犯罪者という対比があり、一人で主役を張れるキャストを2人並べているのは、わかりやすいタイプです。

これらのストーリーを、どちらかだけの視点で描いた場合、刑事視点のサスペンスものや、犯罪者視点のマフィアものなどのアークプロットになりますが、あえて二人の主人公を対比させることに意味や面白味が出てくるのです。

コントラストが効いてなければ、主人公を2人にする意味がありません。

『ホリデイ』は2組のカップルという構成ですが家を交換する「ホーム・エクスチェンジ」という設定によって、成立しています。

ウディ・アレンによる2作品はテーマによる対比が見られます。

『メリンダとメリンダ』では、喜劇と悲劇という演出の対比をしている面白い例です。

また、『ショーシャンクの空に』はティム・ロビンスとモーガン・フリーマンの2人が主人公のように見えますが、これは小説でいう語り手と主人公が違う例で、コントラストプロットではありません(映画では少ない例だと思います)。言うまでもなく物語上はティム・ロビンスのキャラクターアークしかありません。

バディプロットとも勘違いしやすいので注意が必要です。
参考記事:映画『或る夜の出来事』(三幕構成分析#42)
【報告】映画分析会(#8)『ペーパー・ムーン』:ロードームービー型のバティプロット

バディプロットでは2人で行動していることが多いので、主人公が2人いるように見えますが、明確な目的をもっている主人公は1人のアークプロットです。映画の冒頭から登場しているのが主人公で、バディとは途中で出会います。

もうひとつ、バディ要素のある映画とも、区別する必要があります。

例を挙げるなら『メン・イン・ブラック』です。他にも2人組の刑事が捜査するようなミステリやサスペンスに山ほどあります。

このバディ関係は、二人で共通の目的を持っており、二人で一人の主人公のようなものです。

『48時間』などは間違いやすい作品ですが、どこに含まれるでしょうか?

気になる方は、ご自分で分析してみてください。

主人公が3人以上=マルチプロット

主人公が3人以上の構成をマルチプロットと呼びます。「群像劇」とも呼ばれます。

一般的に「群像劇」の作品と呼ばれていても、ビート分析をしてみると1人の主人公のキャラクターアークが明確で、実はサブキャラクターが多いだけのものもあります。

『十二人の怒れる男』など、タイトルと物語のコンセプトが12人の陪審員によるストーリーに見えますが、明らかに無罪を主張する一人が主人公です。

『SING/シング』などは間違える人はいないと思いますが、群像劇と思う人がいたら初級のアークプロットを理解していないと言えます。
参考記事:映画『SING/シング』:群像的な構成と茶化したDN(三幕構成分析#35・音声)

群像劇の代名詞と言われる古典映画が『グランドホテル』です。群像劇のことをグランドホテル型と言うほどです。

似たようなコンセプトでは、

『グランド・ブダペスト・ホテル』

『マリーゴールド・ホテルで会いましょう』

『THE 有頂天ホテル』

など、どれもホテルに集まった人々の群像劇です。

マルチプロットのヒントとして「たくさんの人が集まる場所」という設定があります。

『タイタニックの最期』では豪華客船という設定で、ひとつの家族、それぞれのドラマが描かれています。構成上は、この作品をアークプロットにしたものがディカプリとケイト・ウィンスレットの『タイタニック』といえます。ちなみに舞台自体が沈没するという設定はとても効果的な設定です。


個人的にかなり好きな映画ですが『今宵、フィッツジェラルド劇場で』は「劇場」という舞台。

同じロバート・アルトマン監督で、アカデミー脚本賞を受賞している『ゴスフォード・パーク』はイギリスのカントリーハウス。

街ごと舞台にしてしまえば『ナッシュビル』になります。

コントラストプロット同様に「複数の主人公を描く意味」が必要ですが、むしろ「舞台」そのものがテーマのようになっていれば、キャラクターアークが弱くても、場合によっては、主人公がいなくても成立してしまうところがあります。

ここに、ロバート・マッキーが言うような「アークプロットを書けないライターにはミニプロットは書けない」本質があります。

映画では「時間」の限界があり、どんなに長くても3時間ぐらいが限度でしょう。

ちなみにギネス認定されている映画は87時間だそうですが、これはアンチプロットです。映画の固定観念に対抗している意味で、物語ではありません。
面白い記事があったのでご紹介しておきます:【11月第2木曜はギネスの日】さまざまな世界一を記録したギネス認定映画特集!

時間に限界があるということは、描ける主人公の人数に限界があるということになります。

主人公1人のアークプロットを短く90分で描いたとしても、2人のコントラストプロットになれば3時間です。

ていねいにキャラクターアークを描こうとしたら2人が限度です。

だから映画の「群像劇」は、実は登場人物が多いだけのアークプロットであったり、ショートストーリー的な小さなキャラクターアークの主人公を同じ舞台に集めた構成なのです。

小説においてはページ数の制限がないので大長編の歴史スペクタルなどを描くことも可能です。映像でこれに類するのは、映画ではなくドラマシリーズです。

いずれにしても「本当に必要か?」という意味は問われると思います。

当初のコンセプトからズレて、ジャンルが変わってしまったようなドラマシリーズは面白くても疑問視されたり、失敗して打ち切りになったりします。

その他のマルチプロット作品について

群像劇について説明したので、いくつかの作品について触れておきます。

『クラッシュ』
アカデミー作品賞を受賞した有名な群像劇です。「一つの交通事故」から関連するショートストーリーの組み合わせ。

『パルプ・フィクション』
これを群像劇とするかは微妙なところです。アークをもっているのは、ジョン・トラボルタ演じるヴィンセントと、ブルース・ウィルス演じるブッチだけです。ブッチに関しては長めのサブプロットととることも可能なので、ヴィンセント一人のアークプロットとして捉えることも可能です。時間軸の交錯に、面白い演出があります(むしろ、ここがすべて)が、時間軸通りに並べ替えて分析すればシンプルなアークです。個人的には大好きな映画です。

『マグノリア』

ファンの多い作品だと思います。「カエルが降ってくる」というエピソードが印象的で、そこがいくつかのストーリーを繋いでいるように見えますが、物語上はショートストーリーの寄せ集めです。ただし、音楽を巧みに使ったプロットアークの演出がうまいため、全体の統一感が取れています。ストーリーより演出上でマルチプロットを成立させているようです。

『リトル・チルドレン』
好きな映画です。分析記事があるので、そちらをどうぞ。
参考記事:映画『リトル・チルドレン』(三幕構成分析#41)

『大いなる陰謀』

監督ロバート・レッドフォードとしての政治的メッセージの強い作品ですが、これも個人的には好きです。アフガニスタンでの作戦を指示する政治家(トム・クルーズ)と、金のために志願する黒人の学生、無頓着な白人学生(アンドリュー・ガーフィールド)という3つのストーリーが、一つのテーマで関連しています。無頓着な学生という描きづらいテーマを引き立たせるために、政治家と黒人学生のストーリーがあるようで、それがメッセージ性に寄与しています。

『めぐりあう時間たち』
分析はしていないので、構成については触れられませんが、印象に残っている作品です。いつか、もう一度見てみたい映画。「ヴァージニア・ウルフ」を軸に時代を越えるというマルチプロット。
代わりにAmazonの商品紹介を引用しておきます。

三つの時代、三人の女、それぞれが迎える普通の朝。何気ない一日に交錯する歓びと哀しみ、驚きと感動、幸せと不幸せ、愛と裏切り。何のため、誰のために生きるのか。そして、彼女たちの決断、選択とは…。

『アモーレス・ペロス』
『バベル』
『21グラム』
作品の評価が高いアレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ監督。群像劇もいくつか撮っていますが、脚本・演出ともに、群像の意味が掘り下げきれていない印象があり、個人的には退屈に感じます。好きな方がいらっしゃったら、ぜひ魅力をご教示ください。

分析表公開

構成は自分で分析しないとわからないことがたくさんあります(とくに群像劇は!)。分析してみた人の参考にどうぞ。ずいぶんと昔なので、いま見直したら違うと思うところもあるかもしれませんが……

『アメリカン・ギャングスター』

『ヒート』

『クラッシュ』

『12人の怒れる男』(テレビ版)

『マグノリア』

『トラフィック』

『リトル・ミス・サンシャイン』

※物語分析会は継続的にやっておりますので、ご興味のある方はこちらから→イベント情報

緋片イルカ 2022.3.30

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