※あらすじはリンク先でご覧下さい。
※分析の都合上、結末までの内容を含みますのでご注意ください。
※この作品はライターズルーム分析会において、イルカが進行をしたため通常とは違う形式でまとめてあります。
【ビートシート】
分析会のレポート
Report07_One Battle After Another_261003
イルカ解説
以下、用語のリンクは省略しているところもありますので、サイト内検索機能をご利用ください。
・この作品は「群像劇的な構成」「シークエンスを分ける時間経過地点があること」「ポール・トーマス・アンダーソンという作家性」(さらに原案はトマス・ピンチョン)ということを考慮する必要がある。
・「群像劇的な構成」は、一人の主人公がビートを背負っていない。それはアークプロットとミニプロットの違い。主人公が背負っているならアークプロットになる。
・ミニプロットでは主要なキャラクターの「キャラクターアーク」を、別個に捉えることが必要。今作で大きなアークを持っている(=主要キャラ)は、ボブ(ディカプリオ)、ロックジョー(ショーン・ペン)、ペルフィディア+ウィラの3本といえる。センセイ(ベニチオ・デル・トロ」、テアンドラ、軍人の尋問をするキャラは独立したシーン(つまり主要キャラがいないシーン)をもつが、説明的な側面が多く主要とは言いづらい(分析上、余裕があれば拾ってもいい)。
・「16年後」という大きな時間経過があるので、その前後で別個に構成を見る必要もある。つまり、キャラクターアーク3本あり、「16年後」という切れ目の前後で2つの大きなアクト(過去と16年後)があると、3本×2の6本を捉えて、それぞれにアークやビートがあると考える。一つの型だけで分析しようとすると、こういう作品は当てはまらなくてなる。それがハリウッド式(キャラクターアーク1本でビートを作ろうとする場合)の限界。
・「16年後」のような大きな時間経過をPP1とするかどうかは演出や観客が受け止める印象次第。今作では演出やストーリー上も明確な切れ目としておかれ、時間配分としてもプロットアーク上の「PP1」とよべる。例えばアークプロットでも主人公の一生を追っていくようなストーリーなら、何度か時間経過があるような構成があるが、その場合は、どのタイミングで、どのような機能としておかれているかで、ケースバイケース。大きな時間経過がプロットポイントなどという思い込みはしないように。
ボブのアーク
過去
アクト1:革命運動に参加。作戦を知らないところからも本腰ではない。
PP1:ペルフィディアとキス
アクト2前半:恋と革命運動が同時に盛り上がっていくかんじ。
MP:娘ウィラが誕生
アクト2後半:ペルフィディアとうまくいかない(家族か革命か)
PP2:バクタンクロスへ逃亡
※アクト3はなく、16年後に引き継がれる印象。
16年後
アクト1:ヘロイン中毒、ウィラを心配する過保護パパになっている(再セットアップ)
PP1:フレンチ75から電話があり逃亡開始(ウィラと合流するため)
アクト2前半:逃げながら、合流地点の情報を手に入れる(want)、センセイはPinchで手助けするサブキャラ。
MP:電話で情報入手。want「修道院へ向かう」に変化。
Fall:センセイと分かれて別行動開始→落下→テーザー銃で捕まる。
アクト2後半:落下して捕まったり、警察に追われたりしながら目指す。
PP2:センセイの車から落とされて、修道院へ一人で向かう
アクト3:ウィラを助けるための対決。
※分析会参加者意見への補足:
MPを「ボブが捕まる」(木から落ちた後)とするのは、PP1から「捕まりそう→逃げ切る」というアークの末に捕まったというのであればMPとして機能する(ビートで言えば「捕まりそう」というバトルが重ねられた上でともいえる)が、ボブがやっていること(バトル)は、電話して情報入手しようとしているところがメイン(これはF&Gの一つでもあり、今作がコメディといえる要因。また「暗号が通じない」というのは言葉が通じない、コミュニケーションが不足っしているという、ボブとウィラの父娘関係、ひいては社会的な分断へのメッセージも含むバトルでもある)。
Fallを「ボブが捕まる」とするか「修道院へ向かって行動開始」とするかは微差。MPでwantの変化(情報入手→修道院へ向かう)が起きて、MP後の次の展開が始まるFallとしては「行動開始」でもよいし、とくにミニプロットのキャラクターアークではキャラの行動がそのまあビートになりがちだが、「落下して捕まる」というイベントをビートとしておく。直後のシーンであるウィラが到着しているのとの対比としても印象が強まる。
PP2を「ボブが射撃に失敗して、ロックジョーがウィラを連れていってしまう」とする意見は、PP2のオールイズロストっぽいという理屈としては良いと思うが、演出的には合わないと感じる。
PP2「センセイの車落とされる」
↓
ダークナイト「車を盗んで修道院へ向かう」
↓
ビッグバトル開始「ウィラ発見→撃つ」
こっちの捉え方のが合う。ウィラを連れていかれたあとは、すぐに追跡を開始していてダークナイトオブザソウルの間がなく、すでにビッグバトルに入っている印象を受けるため。
母ペルフィディア+娘ウィラのアーク
過去=ペルフィディア
アクト1:ボブと違い革命運動は慣れているかんじ。
PP1:ロックジョーに見つかり、ホテルでセックス
アクト2前半:ボブに秘密、妊娠など気にしない
MP:娘ウィラ誕生
アクト2後半:子育てより革命、銀行を強盗(※この作品全体のテーマとして革命の目的がズレてきているという描写にも注目)
PP2:捕まる
アクト3:ロックジョーと取引。仲間を売る。
16年後=ウィラ
アクト1:空手を習い、友達とパーティーに行く高校生
PP1:テアンドラが来て逃亡開始
アクト2前半:車での逃亡。携帯を捨てられる。
MP:修道院到着
アクト2後半:母の過去、本当の父は?という自分の出自に向き合う。
PP2:ロックジョーとDNA一致。
アクト3:生き延びられるかどうか、父とどう向き合うかのビッグバトル。
※分析会参加者意見への補足:
ウィラを主人公としてスリーポインツをとった人がいたが、感情的な動きが大きく、ビッグバトルでの動き、エピローグでの成長変化などを見ると「主人公らしさ」があるが、途中から登場しているという点から見ても、最も重要な主人公とは言いづらい。群像的な作品は、はっきりいってスリーポインツだけで掴みきれるものではないので、「スリーポインツを答えろ」という問いかけ自体がひっかけ問題のようだが、ともかく「あえてウィラをとる」というのであれば、良いと思う(分析会であれば他の人がボブでとると思ったので、あえてウィラをとってきたなど)。ウィラのアークではPP1~MPの修道院へ行くまでのが車に乗っているだけでバトルもないので、後半の目立ち方に反して、このあたりが何も起きていないということは掴んでおくべき。
ウィラでとった人では、PP1はズレはない。MPを「ボブが捕まる」はアークがズレているので、プロットアーク的な撮り方をしたのでなければ、主語がズレている。PP2は「ウィラがロックジョーにつれていかれる」「殺し屋に引き渡される」「売られた先から車で逃げ出す」など、切れ目となる地点がたくさんあるが、いずれにせよ「逃げる」というアクションが始まっているのは、ビッグバトルの中の一部と捉えるのが自然だと感じる。
ロックジョーのアーク
過去
アクト1:軍人としての生活(シーンの描写はなし)
PP1:ペルフィディアに欲情
アクト2前半:ストーキング
MP:ペルフィディアとセックス
アクト2後半:助けるための行動
PP2:ペルフィディアが消える
※アクト3はなし。ペルフィディアを探すでもなく、16年後へ。ペルフィディアを追う代わりにはウィラを追っているところは、16年後じたいがアクト3にも見える。
16年後
アクト1:出世した後。「クリスマスアドベントクラブへ入りたい」というwantがセットアップされる。
PP1:ボブとウィラの追跡開始
アクト2前半:追跡
MP:修道院でウィラを捕まえる。
アクト2後半:DNA検査の結果を待ちながら、ウィラと会話。
PP2:DNA一致
アクト3:ウィラを始末するための戦い。
※分析会ではロックジョーを主人公とした人はさすがにいなかったが、ストーリーを一番動かしている人物ではあるので「追跡/逃亡」ものでは、追跡者の動機や動き方も大事。今作と『ノーカントリー』を比べてみるのも面白いと思う。作家性の強かったコーエン兄弟がエンタメに寄せてアカデミー作品賞をとった作品(『ファーゴ』で脚本賞はとっているが)。同じくポール・トーマス・アンダーソンが初めて作品賞をとった本作。追跡者の怖さ、気持ち悪さなども注目。
プロットアーク
群像劇では、各キャラクターアークをとっただけでは本質は見えない。それらを前提に全体として(作品として)のアークをとることで、この作品が何を伝えようとしているか、メッセージなどが見えてくる。間違っても、群像的の一キャラクターのアークだけで、ビートがズレているなどと解釈してはいけない(アークプロットでズレているのとは訳がちがう)。
ここからは、しっかりと各ビートでみていく。
Image1「オープニングイメージ」:「移民の描写」
今作の一つの題材、社会的テーマとして「移民問題」が置かれているのは言うまでもない。オープニングイメージはトップで見せて、その後も作中で繰り返されることで機能していくが、センセイに関するシーンを始め、軍によってナゲット工場が制圧されたり、街での攻防なども映像で見せつづけている。先に書いてしまうが、ファイナルイメージは、ウィラがデモへ向かっていくが、映像的なビートとしては機能していない。トップシーンで移民を視察しているのが母であるペルフィディアで(ディカプリオよりも先に画面に現れることにも注目!)、ファイナルでは娘のウィラに引き継がれていくというメッセージにもつながる。また「移民問題」を社会的に具体的なメッセージを込めて描いているというよりは、本作は抽象的な描写が多く(監督の狙いだと思う)、移民という存在も抽象的にとらえる必要がある。生きて居場所をなくしている人々に対して、活動するペルフィディアは、個人としては問題を抱えているが、行動としてはヒロイックでもある(それは過去のボブもそう)。この辺りに、革命運動の英雄などという言葉だけのキャラクターではなく、その後にヘロインに溺れるボブや、16年後も活動を続けている人たちとの対比も、リアルに描いている魅力があると感じる。
GenreSet「ジャンルのセットアップ」:「ロックジョーの勃起」
トップシーンからアップテンポなテロ活動のシークエンスに入っていくので、シリアスな作品も見えるが、ペルフィディアがロックジョーと出会い、銃を向けた後、男性器を勃起させる描写がある。この作品のジャンルを決定づけるシーンといえる。コメディといえばコメディである。馬鹿馬鹿しいと失笑する人もいるだろう。だが、シーンとしてはシリアス(ロックジョー本人としても至って真面目)で、笑いづらい側面もある。このシーンが5分半ぐらいの位置なので、観客の中ではシリアスな作品という印象をもってしまっているかもしれず、ジャンルのセットアップをするタイミングとしては遅いといえる。ただし、全体がゲラゲラ笑うようなコメディではないので、これはこれで良いともいえるか。このロックジョーの変態性が作品を貫いていて、この男のわがままが、センセイたちの拘わる不法移民を制圧したり、そこに社会的な正義などない(ボブやペルフィディアにしても正義には見えない)というのは今作のテーマでもある。こんな世の中を笑うしかないとでも言うような皮肉にもみえる。
want「主人公のセットアップ」:ボブ「フレンチ75の叫び、車内でキス」、ペルフィディア「悪行を正す」、ロックジョー「(ペルフィディアに対して)また会うことになる」
それぞれのセットアップは明確。回想だけでなく会話上も、それぞれのキャラの過去などがほとんど触れられていない(皆無か?)のは、感情移入をさせるつくりではなく、戯画的にキャラクターを描いていることである。なお、ポール・トーマス・アンダーソンの過去作(それこそ『マグノリア』とか)を見れば、感情を描けない作家などではないので、意図的に排しているといえるだろう。
Catalyst「カタリスト」:「ウィラ誕生」
ストーリー全体のキーとなるなるのは「ウィラが生まれたこと」。これにより、ボブとペルフィディアの仲は悪くなり、16年後にロックジョーが追跡をすることになる。ウィラが生まれてなかったら、このストーリー全体は成立していない。ウィラという存在が、ストーリー全体がどういう意味があるかを考えるように、ビートをとる。
Debate「ディベート」:「夫婦げんか」→「活動激化」
ウィラ誕生後、ペルフィディアはさらに革命に身を投じ、銀行強盗を起こす。トップの移民を逃がすための活動とはやや違ってきている様子もポイント。正義からは遠ざかっている。ペルフィディアは捕まり、取引の末、仲間を売り、その情報を元に「フレンチ75」は弾圧を受けていく様は、カタリスト「ウィラ誕生」後に起きている一連の「ディベート」といえる。
Death「デス」:「フレンチ75壊滅」
ボブは娘をつれてバクタンクロスに逃亡、ロックジョーはその功績で出世、それぞれ16年後へとつながっていく。ペルフィディアはロックジョーの保護下から逃亡して、舞台から降りる。
PP1「プロットポイント1(PP1)」:「16年後」
時間経過だけでも、明確に違うアクトが始まっているといえるし、観客も「違う展開が始まった」と明らかに感じるので、それだけでも「PP1」として機能しているといえるが、ストーリー的な解釈では、ボブでいえば「革命活動を止めた後」の生活開始といえる。この感覚を理解するには「16年後」という時間が経過せず、娘ウィラが赤ん坊のままバクタンクロスでの生活が始まる展開を想像してみたらわかりやすい。時間経過していること自体が切れ目でなく、ボブ視点でとっても、しっかりとアクト2が始まっている印象。
F&G「ファン&ゲーム」:「ヘロイン中毒の父と、しっかりした母」
保護者面談にヘロインを吸ってから行くボブ。過去の大統領をディスい、娘の成長に涙する。これ自体で少し笑えるとも思うが、ヒッピー文化の重ねでもある。一方、しっかりした娘を表現する空手の演武は「しっかり育っていること」が身体で伝わり、教師の言葉と併せて、ウィラのセットアップになっている。時間が経過しているので、各キャラクターのセットアップをし直さなくてはいけないのは仕方がないが、いかにコンパクトな描写でスムーズに(観客を混乱もさせずに)やっているかというのは脚本の技術ともいえる。
Battle「バトル」:「逃走劇」「電話」
ボブもウィラも逃亡する様が描かれるが、同時に暗号を思い出せず情報をもらえないコントのようなやりとりが展開される。後者は明らかなコメディで、誰でも笑われる。PTAに映画好きに刺さるというか、リテラシーの高い人には笑える画がたくさんあるというのは気取りではなく、笑っても笑わなくてもいいような描写。映像的な遊びなどがたくさんある。例えば、家を襲われて抜け穴から出たときキャンプをしている家族などの中を走っていくショットがある。ボブの隣をボールを追いかける子供が走っていて、露骨な笑い(誰でもわかるよう)にするのであれば、ボールがボブに飛んでくるとか会話があったりといった笑わせ方ができる。だが、それをやったらやったで、笑いはとれても、別なトーンやリズムを崩してしまう可能性がある。なお、この規模の映画で撮影上、たまたま子供が入ってしまったなんてことは絶対にありえないので、意図的にやっているのである。避難用に用意していたであろうバッグを手にもっているが、明らかに小さな子供向けのピンクのリュックももっていて、これもシリアスな逃亡劇の画としてはシュールであり、同時に襲われることなどないと思って安心しきっていた(16歳のウィラに合わせた避難セットなど用意していなかった)という背景などが小道具一つでうかがえる。こういう映像的に伝えるということは、わかる人にはわかるが、わからない人はわからない。マウントなどではなく映像に対するリテラシーの違いで、わかる人には楽しめる映像がたくさんある。ボブがセンセイの元で、パトカーだと畳を転がって身を隠す動きなども、大袈裟で馬鹿馬鹿しい(本人は真剣)で身体での笑い。もちろん、後半で車からトムクルーズのようには落ちれないところは言うまでもない。あとエピローグだがスマホの自撮りがうまくできないとか、挙げだすとキリがないし、構成とは別だが、こういう部分もしっかり読みとれるようになると、脚本を書くときに、説明セリフではなく、見せる伝え方ができるようになってくる。
※Pinch1/Sub1「ピンチ1」/「サブ1」:
逃亡開始地点が、時間的にピンチの位置に置かれていることには意味がある。この説明は省略するが、群像劇をたくさん分析すると、この意義がわかってくるはず
MP「ミッドポイント」:「ウィラが修道院到着」
ボブ、ウィラが共に目指している目的地であり、演出のトーンも静かになり、アクト2での中で最奥部感(ビートMoveに関連)、そして、ペルフィディアの話が蒸し返される点など、ストーリー、場所、演出からミッドポイントといえる。ウィラからしたら逃げ切ったというFalse Victory感もある。一番のメインキャラであるボブの行動ではないということを気にするのはアークプロットに囚われている証拠。中級編の記事などを参照してほしい。
分析会参加者の意見で、しののめさんと山極さんはプロットアーク的な捉え方をしてくれたと思う。分析会のやりとりの中で、バクタンクロスが襲撃される一連の激しさは演出的にミッドポイント感があるとは思った。とくに街で警察隊とデモ隊がぶつかる辺りなどは、いかにもミッドポイント的な派手な演出といえる。アクション映画や、そこがストーリーの主軸であれば、この作品以上に派手にやるシーンになりそうだが、今作では抑えられているともいえる。アクト1(過去編)とのつながりからも、やはり「修道院」が全体の(プロットアークとしての)ミッドポイントといえる。
Fall start「フォール」:「ティム登場」
これは『Save the Cat』でいう「迫り来る悪い奴ら」という感覚。このタイミングでの新キャラ、強キャラの登場。ミッドポイントで女子修道院が出てきた直後に、白人男性しかいない「クリスマスアドベントクラブ」が現れるのも対比が効いている。ただし、全体の展開としてはティムの動きは、けっこう後になるので、ウィラのキャラクターアークにある「過去との向き合い」が軸になっていく。
Pinch2/Sub2「ピンチ2」/「サブ2」:「テアンドラ尋問」
今作でメインキャラ4人(ボブ、母娘、ロックジョー)がいないシーンは、センセイ、テアンドラ、尋問をする軍人しかいない。サブキャラクターである。センセイは言うまでもなく「ボブのアーク」でのサブキャラクターとして動きつつ、全体としては不法移民の弾圧というサブプロット(ロックジョーがウィラを追う過程で同時進行されいている)を担っているキャラクター。テアンドラは全体の「ピンチ1」、ウィラの「PP1」にあたる位置で登場し(登場自体はアクト1でもしているが)、ウィラのサブキャラ的な立ち位置。尋問をする軍人は、関わりはほとんどないがロックジョーのアークのサブキャラクターと捉えると掴みやすい。役者ではなくプロの尋問官らしいが、そういう描写を入れることでサブプロットを強めているといえる。尋問はプロのやり方らしく、描写としては魅力的だが、テアンドラの処理というストーリーの観点ではやや曖昧な結論ともいえる。ピンチ2あたりの位置にある特徴的シーンとして、便宜上ひろうが、ビートとしての機能はない。
PP2(AisL)「プロットポイント2」:「DNA一致」
ショックを受けるロックジョー。観客も予想していたか、そうだったの?と驚くか、これまでのストーリーの意味が問い直されるシーン。ウィラからすれば本当の父を知るというよりも、「ボブが実父じゃなかったと知るシーン」といえ、その感情がアクト3でのボブへの「Who are you?」に繋がる。全体的にドライなトーンの中で、一般的な観客が感情移入しやすいのはこのあたりから。アクト3へ向けた準備ともいえる。アークプロットに慣れている観客は物足りないだろうし、今さら共感できないと感じる人も多いだろうが、ここをやりすぎると全体のトーンが崩れるので、そちらを優先させている。この作品をまとめあげるという点では、こちらが正解だと思う。この感覚を理解するには、例えば、ボブが娘を助けにいくだけの「よくあるアクション映画」を想像してみて、それが面白いか?と、今作と比べてみてみるとよい。
DN「ダーク・ナイト・オブ・ザ・ソウル」:「ボブの独白」
ウィラがショックを受けたショットはしっかりある。なお、ポール・トーマス・アンダーソンは音楽の使い方は特徴のある監督。今作でもやや主張の強い音楽の使い方があって、うるさいと感じるという意見もあった(それは一部同感のところもある)。一方で、こういった「ドラマ所」では、しっかり音楽を止めたり抑えて、感情に寄せようとしている。これも映像慣れしていないと、露骨なBGMがないことで見落としてしまうということもある。ウィラのショックから、父ボブへつないで、センセイの助手席で感情を吐露するところはダークナイトオブザソウルな演出であり、これを掴むと、先述したボブやウィラのPP2がこれより前にあると感じられるはず。
BB(TP2)「ビッグバトル(スタート)」:「ボブの狙撃」
修道院についたボブがライフルで狙撃をする。スタートの号砲のようにビッグバトルが始まる。これ以降は、
ボブ→ウィラを追う
ウィラ→逃げようとする
ロックジョー→ウィラを始末する
という全キャラが入り乱れてのアクションサスペンスの連続。小さな Twist「ツイスト」はたくさんあるので省略するが、全体としてはウィラが白人至上主義組織「1776」に渡されたところが、一つの失敗といえるか。ここでビートをとることに、重要な意味はないが、アバンティが裏切る行動に出るところは、トップシーンでの革命行動へ通じる部分がある。さらにティムがまじって、混乱していく。ティムがロックジョーを始末したあと、ウィラの命を狙うのはやや動機はやや不明(クリスマスアドベントクラブではすべて綺麗にしろとい言われているし、白人至上主義者にとっては混血の始末的な意味だと思うが)。ともかく、『ブリット』的なカーアクションを経て、ウィラは父に抱きしめられる。暗号を思い出せず苦戦していたボブは、ウィラの問いにすんなり答えることができる。うまく話せてなかった父娘は和解してBig Finish「ビッグフィニッシュ」となる。
Epilog「エピローグ」:「ボブがウィラ母の手紙を渡す」「ロックジョー、ガスで殺される」
ロックジョーが殺される一連のくだりがあるが、エピローグ。ガスで殺されることは収容所を思わせ真の敵、権力者の存在を思わせる。ここまで作中では「銃」が権力の象徴とされてきた。銀行強盗のシーンで、ジャングルプッシーが「こいつはパワーの象徴だ」と言っている。ペルフィディアは、ロックジョーの帽子と銃を盗み、ホテルへ行くときには返せと言われる。ボブはセンセイに銃が必要だというが、ライフルをもらってはすぐに手元から離れてしまい、PP2で車から落とされるときにようやくライフルを手に入れ、ビッグバトルでは撃つところから始まる。革命には暴力が必要だというメッセージとも繋がる。生き延びたロックジョーがガスで殺されるのは、クリスマスアドベントクラブが、一つ上の次元にいる権力者であり、この世界を悪が牛耳っているような嫌悪感を抱かせる(殺されるのがロックジョーだから嫌な感じがしないところもメッセージ性の抑えになっているが)。その一方で、父と和解し、デモ(テロ行為ではなく)に参加するために出ていく若者は希望か、希望への期待か、一筋の明るさが残る。ウィラをImage2「ファイナルイメージ」と捉えてもいいいかもしれないというのは先述した。監督自身が影響を認めているらしい『旅立ちの時』のラストにも似る。母からの手紙は、感情的なドラマのためにもってきたというより、全体のバランスとして、アクト1で退場してしまっている母の処理としては置きたくなるのはわかる。なければないで「母はその後、どうなった?」と言われてしまう別の気持ち悪さも生まれる。
まとめ
プロットアークを踏まえて、全体をまとめていく。
過去:革命運動を正義として活動していた男女(若気の至りともいえる)。子供ができて関係は崩れ、母は亡命、父は身を隠して活動を止める。
16年後:両親の過去など知らず育ってきた娘は、親世代の因縁に巻き込まれ、殺されそうになるが、過去を受け止めて新しい活動を始めて行く。
この2つの時代を繋いで、さらにログライン的に要約すると、
革命運動をしていた父は身を引いて普通の生活を始めたものの、何も知らなかった娘は過去の因縁に巻き込まれて殺されそうになるが生き延び、過去を受け止め母の意志を継ぐように新しい活動を始めていく。
タイトルの『ワン・バトル・アフター・アナザー』の戦いはつづくにまとまる。
このストーリー(題材)を、ドライな演出、キャラクターから距離をとったコメディとして描くことが作者の視点でもある。
ヒューマンドラマではなく距離をとったコメディとして描く。なお、コメディとするには感情移入はさせすぎない
ことがポイントで、この作品を感情移入できないと批判するのは、やや御門違いかもしれない(洋食レストランに入って和食がないと言うようなもの)。
この描き方に対して、主観的な好みはあって構わない。
もっとヒューマンな革命運動作品が好みであれば、チェ・ゲバラの映画を見ればいい(なお、チェ役はセンセイのベニチオ・デル・トロなのが面白い)。ゲラゲラと安心して笑いたければ、ジム・キャリーやウィル・フェレルの映画を見ればいい。
この絶妙な描き方がポール・トーマス・アンダーソンの魅力である。
好きな人は好き、嫌いな人は嫌いでいい。
興収で言えば、PTA史上最大らしいが、とはいえ制作費の2倍も回収できておらずヒット作とはいえない。
映画好き云々とは別に、ヒットした映画とはいえない。
アカデミー賞では、作品、監督、脚色、助演男優(ショーン・ペン)、撮影、編集の6部門で受賞。
賞レースとしては成功作品といえる。
受賞したからといって、素晴らしい作品かどうかは別。
賞レースには政治もタイミングも影響する。
この映画が2001年の映画だったら、絶対にアメリカでは受賞しない。
カンヌのパルムドール後にアカデミーも受賞した『ANORA アノーラ』の翌年という流れも感じる。
主観的な好き嫌い、受賞など含め客観的な社会的評価はおいておいても、演出、脚本、セリフ、編集、撮影など多岐にわたって映画の勉強になることが多い作品であることは間違いない。そもそも、原作がかなり特殊な構成らしく、まとめあげた脚色力というのも評価されると思う。
その他
分析会であった質問への回答
・ウィラが空手でロックジョーと対決するのを期待してたんですが、それがなかったのも外しですか?(さいの)
↓
ウィラが空手を習っているという設定自体は、原作からによるもののようです。上記の「銃」の意味づけを踏まえると、空手でロックジョー(ないしはティム)を制するという下りがあるのは意味づけができて面白そうなツイストアイデアだと思いました。コナンの蘭姉ちゃんばりのアクションとか。ただし、ストーリー展開、描写によっては、作品のトーンを崩しかねないので、全体から見てベストかどうかはまた別問題かもしれません。ときどき、ツイストアイデアを部分的な面白さだけで考えてしまう人がいますが、全体からも判断しないと作品がアンバランスになります。場合によっては面白いけど捨てざるを得ないアイデアなどもある。なお、原作では忍者アカデミーらしく、その名残がセンセイのスクールの名前だと思います。あと、ウィラ役の女優チェイス・インフィニティは本作デビューの新人で、あまりアクションが得意そうには見えませんでしたね。格闘技好きが見ると、サンドバックを蹴るスピードが遅すぎて、あのSEは鳴らないんだろ!と笑ってしまいました。
・超前衛的な黒人女性が革命家として登場したのに出産し、しかし全く母親らしくなく、革命家として生き続けようとする描写が一番キャッチーで面白かったので、母親が主人応じゃないんだ…という拍子抜け感もありました。癖の強い母親が残した禍根に向き合う父娘、という側面ではあまり掘り下げられてる気もせず…。(しののめ)
↓
質問ではなく感想ですね。母親役ペルフィディアのキャラは面白いですね。アクト1では父親ボブよりも明らかに目立っているし、ストーリーも動かしていましたね。ラストの手紙とモノローグもクリシェなまとめあげですし、もったいないというのは同感です。このキャラも原作とはだいぶ変わっているそうです。原作では三世代描かれているそうで、それがボブに「うちは革命の家系だ」と言うあたりのセリフに残っているのだと思います。原作の設定とどう向き合うかは、脚色では難しい課題ですね
以上
イルカ 2026.10.5
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